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エロス班必読書? 

エロス班の一年生女史と飲みながらエロス班のことを聞いてみた。というと、なんだかいやらしいオヤジと思われそうなのだが、そう思われないことを祈るしかない。

で、そこで女史が大学の図書館から借りてきた本の話になった。その本は題名は忘れたが、戦後のそれなりの「エロ文学」、ではない、男子高校生が通過儀礼のように隠れて読んだ「文学」の詰め込み本だった。僕もその半分くらいは読んでいた。

高校時代に読んだソレ系の本としては、谷崎の「卍」、「鍵」。これは定番と言っていい。野坂であれば「四畳半」だし、稲垣足穂「A感覚とV感覚」、沼正三「家畜人ヤプー」などが正当派かなと思う。
そのほか「金瓶梅」、D・H・ローレンス「チャタレー夫人の恋人」などが有名どころで、文学的薫りがないと同級生に対しても自慢できるものではなかったので、当時の高校生はとても衒学的で「健全」だった。

最近はどちらかというと女性作家の小説にカゲキな表現が多く、オジサンとしては赤面するばかりである。それにしても一見温和しそうな女史と、こんな話を堂々とできるのは大学院ならではのことなのだろうか、それとも時代だろうか。

[2009/05/22 00:02] 未分類 | TB(0) | CM(16)

一本足鳥居 

戦争遺跡のついでに、私にとって身近な遺跡をここに書いておくことにする。

長崎市にある山王神社は原爆の爆心地からわずか800メートルのところにあり、公道である階段を上がりきったところに建つ二の鳥居が、原爆の炸裂によって右半分だけ残っている「一本足鳥居」として有名である。
一本足鳥居


身近と書いたのは私の祖父がかってこの神社の宮司であったからである。祖父は昭和8年に亡くなっていて、私の父を含む3人の息子も神主という職を嫌がったのか誰も跡を継がなかったので、その後は縁者でない方が跡を継ぐことになった。極めて僥倖なことに宮司となったそのご一家は原爆の時に防空壕に入っていて、近隣の方たちがことごとく亡くなった地域にあって一家全員無事に生き延びることができたという。

私が初めてこの鳥居を見たのは、大学浪人時代の昭和43年夏、友人と長崎旅行に行ったときだった。父から話には聞いていたが、階段下から見上げるその異様な姿に全身の血が沸騰するような感じがしたことを覚えている。

倒壊を免れた右足の花崗岩も爆心地側は石の肌が焼けただれ、寄進者の名前を判別することはできない。岩肌の違いはあれから60年以上の風雪を経た今でも明らかにわかる。また倒壊した左足や梁の部材も倒れたときのままで、一寸たりとも動かされてはいない状況だった。それらはたった昨日倒れたばかりという趣で無造作に放置されていた。
TS270169.jpg

当時は事情を説明した案内板などはなく、平和運動家も気にしていなかったのだろう。一昨年現在の宮司さんに伺ったことには、(多分昭和40年代のことと思われるが)市役所の役人から公道に倒れている鳥居の足などを撤去するようにと通告されたが、150万円もかかる撤去費用が捻出できなかったのでそのままにしておいたということであった。現在は市の費用で(愚かなことに)道の片隅に整理されて各部材の説明版が設置されているが、手元にある平成7年の朝日新聞の写真でもまだ倒れたままの状態にあったようだ。この移動・片付けはまことに惜しいことだ。
案内板

[2009/01/13 00:57] 未分類 | TB(0) | CM(0)

戦争遺跡 

2009年1月11日、立花先生はじめ我が立花ゼミの大学院生、セカンドステージの学生、学部の学生、東大の学生など19名は、東京都八王子高尾にある「浅川地下壕遺跡」の見学に行き、同遺跡保存会の会長をなさっている十菱先生と事務局長の日高さんのご案内で、地下壕の見学エリアを一通り見学させていただいた。

「浅川地下壕」は戦争末期に陸軍によって掘られ、空襲を予期した中島飛行機の航空機エンジン製造の工場として使われたところである。この地下壕は3カ所の山の中に掘られているが、今回はそのうち、イ地区と呼ばれるほぼ完成し工場が稼働した壕と、ハ地区と呼ばれる完成に至らなかった壕を見学することができた。

壕の中は大体幅4メートル、高さ3メートルを標準に掘られているが、全域にわたってダイナマイトで崩れた岩盤をつるはしとスコップで整備しただけであり、ごつごつした岩肌とでこぼこ道が続く足場の悪い「坑道」そのものである。
坑内

坑内は1年中気温が15度前後、湿度80〜90%という気候条件で、工場が稼働してもすぐに錆が発生するような状況であり、精密機械であるエンジンの製造にはふさわしくない。このような場所でも工場として甘受せざるを得ない当時の技術者の置かれた立場には深く同情してしまう。多くの人は時代の奔流の中で個人の思考を特定の方向に向けざるを得ず、自由な行動が許されない中でひたすら「事態の打開」を受動的に待ち受けるばかりであっただろう。

この時代ばかりではない、常に時代におもねる調子者がいて、権力を背景に個人の自由と尊厳を制約し、懐疑を抱くものを罵倒する。権力は軍や政治家や役人だけにあるのではない。言論人にも隣組にも婦人会にもマスコミにも存在する。いや誰もが事大主義的な「闇」を多かれ少なかれ持っている。この自覚なくして平和を唱えるだけでは烏合の衆と変わらない。

それにしても、浅川地下壕に関係した人達はその虚しさを自覚していただろうだけに、無駄な戦いに参加した切なさを戦後も味わったことだろう。
[2009/01/13 00:32] 未分類 | TB(0) | CM(0)

イチローの右足 

 11月22日、立教大学連続公開シンポジウム「未来の声を聞こう」で、今最も忙しい人茂木健一郎さんの講演を聴いてきた。

 開口一番話があったのは、「未来は分からない」という当たり前のことであったが、その中で、朝家を出るときに右足から踏み出すか、左足から踏み出すかでその人の今日一日の行動(あるいは運命)が変わるということだった。まるで昔読んだ広瀬正や星新一のSFみたいな話だ。

 時間を遡ってやり直すことなど誰にもできないので、この現象の証明はそれこそ「絶対に」できないのだが、この理論には妙に説得力がある。この理論の「信奉者」であるイチローは常にベンチからグランドに踏み出す足は右足と決めているということだ。これは茂木さんがイチローから直に聞いた話で、超一流の人間には人事(トレーニング)を尽くした後のまさに頂門の一針なのだろう。凡人には「験を担ぐ」だけにしか見えないが。

 また、人が判断する時間はわずか2秒だという茂木さんの話もあった。コンビニからどの銘柄のビールを選ぶかは2秒で決断するし、人生の岐路にあたっても最終決断は実際には2秒ですませているという話だ。すると「もしもあの時・・・」の悔いはたった2秒で決断したことによるのか。

 「もしもあの時」とは、他者から与えられた運命が「もしこうだったら・・」と考えがちなのだが、もしも(自分が)右足から踏み出していたら、他人の、ひいては世界の運命を「少しだけ」自分でも変えることができるのかも知れない。だとしたら、ちっぽけな自分も世界の運命を「左右」しているのだろうか。それとも世界は既に予定された出来事を単に消化しているだけという運命論に従うべきなのだろうか。
[2008/11/24 14:06] 未分類 | TB(0) | CM(0)

キューバ危機 

 今では忘れ去られたように事件だが、僕には世界の行方というもの、というより全面戦争による世界の終わりを生涯で初めて身近に感じた一瞬であり、このような経験は後にも先にもない。

 事件を知ったのは1962年10月22日、ケネディがテレビ演説でキューバにソ連のミサイルが持ち込まれていることを発表した時だ。僕は中学1年生。9月に九州から東京の公立中学に転校したばかりのことだった。
 朝学校に行くとクラス中がその話題で持ちきりで、今にも核戦争が始まらんばかりの悲壮感が漂っていた。新聞やテレビの影響が大きかったのだ。

 事件のあらましはこうだ。
 10月14日アメリカ空軍のU-2偵察機がアメリカ本土を射程内とするソ連製中距離弾道ミサイル の存在を発見した。
 U-2 偵察機というのは真っ黒く翼の長い偵察機で、当時の戦闘機では迎撃できない、上空25000mもの高々度成層圏を飛行し共産圏のミサイル基地などを偵察していた飛行機である。なお、この偵察機は1960年5月1日にソ連領空を飛んでいたとき、ソ連が開発に成功した地対空ミサイルによって撃ち落とされたことがある。この時も世界は大騒ぎしたものだ。

 ともかくアメリカは、キューバ国内にあるミサイルの撤去を求め、グロムイコ駐米大使を呼んで通告を行っている。これが10月18日。同時にソ連との全面戦争に備えアメリカ国内の核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置き、ソ連も国内のミサイルやキューバのミサイルが発射準備に入った。同時にアメリカはキューバ海域を封鎖し、新たなミサイルの上陸を阻止する。

 折しも、キューバに向かうミサイルを積んだソ連の貨物船が発見され、一触即発の危機は一層全世界の新聞を賑わせた。
 世界が固唾を呑んで見守る中、10月28日フルシチョフはモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表し、貨物船を引き返させることになった。後に報じられたテレビでは貨物船がUターンをして引き返す映像が流れ、世界中で安堵と喝采を浴びた。僕にはこの映像が鮮明に記憶に残る。この危機を境に世界はデタントに向かうことになった。

 この間の出来事を映画にしたのが『13デイズ』で、コビン・ケスナーが主演している。まだ見ていないが。
 また、この2年後にフルシチョフは失脚することになるが、彼はキューバ危機におけるアメリカへの弱腰が非難されたという。

 この時ほど、核のボタンに手が近づいたときはないかも知れない。もしもボタンが押されていたら、米ソの大都市やキューバは完全に破壊され、他の国も戦禍を免れなかっただろうし、今の世界は気候の狂いと大気汚染による病気や飢えと経済の疲弊で地獄の有様になっていた可能性すらある。あれからもうじき半世紀が経とうとしている。思い返すと感慨深い。
[2008/11/18 11:43] 未分類 | TB(0) | CM(0)