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ポーランド映画「カティンの森」 

(2007年 122分)

【映画を理解するためのポーランド略史】
ポーランドは地政学的にソ連とドイツに挟まれ、長い間歴史の波に翻弄される運命をたどっている。独立と被占領を繰り返した後、

1918年、第一次大戦後ヴェルサイユ条約の民族自決の原則により、領土を取り上げていたドイツとソビエト連邦から領土が割譲され共和制(第二共和制)のポーランド国家が再生。

1939年、ナチス・ドイツとソヴィエト連邦が締結した独ソ不可侵条約の秘密条項によって、国土は再び両国に分割される。同年ドイツ、スロヴァキア、ソ連がポーランドに侵攻して、リトアニアを加えた四カ国で分割占領され、ポーランド亡命政府は当初パリ次いでロンドンに拠点を移すことになる。

1945年、第二次世界大戦が終結するとポーランドは復活したが、その国の形は終戦前に行われた英・米・ソのヤルタ会談によって定められた。その結果、領土が戦前と比べて大きく西方向に平行移動した。ソ連はポーランド侵攻以来占拠していたポーランド東部を正式に自国へ併合した代わりに、ドイツ東部をポーランドに与えた。以後、ポーランドはソ連の影響下に置かれ、ワルシャワ条約機構に組み込まれた。

1980年、独立自主管理労働組合「連帯」が結成され、1989年完全な民主化、亡命政権を継承する形で第三共和制が成立した。ワレサは第二代大統領。

【カティンの森事件】
カティンの森事件は1940年、将兵を含むポーランド軍人や民間人捕虜をソ連領に連行し、カティンの森で次々と後頭部より銃殺した事件を指し、数千人の遺体が確認されているが、20000人以上が犠牲になったという文書もある。

事件の報告は単純ではなく、当初ソ連が連行して「埋葬」した場所を、後にドイツがソ連を追って侵攻したときに発見し、ドイツはソ連の悪逆ぶりをポーランドや海外に向けて発表し、宣伝した。
これに対し、ソ連はドイツの仕業と切り返し、その後同地をソ連が再占領するに及んで1943年夏にドイツが実行したという「歴史」をポーランド人にも同盟国にも広く浸透させてきた。ソ連政府が自分たちの行為であることを認めたのは1990年ゴルバチョフによってである。

【映画】
映画は、殺害された将校の家族たちの物語として展開する。始めドイツの宣伝に使われ、後にソ連軍・傀儡政府により1943年、すなわちドイツ軍による虐殺と言うことを強制され、多くの関係者は真実を知りながら口を閉ざす。

中には真実を様々な形で表現するべく抵抗する者も現れるが、映画では悲惨な結末が描かれる。

日本でも、シベリア抑留中の真実が長い間封殺されていたり、「征戦」を信じて戦ってきた兵士達が、器用に頭を切り換えられず「特攻崩れ」などと自棄を起こす場面が映画になったりしたこともあるが、どこの国においても敗戦や外国の占領にさらされた国の惨めさという意味では同工である。占領軍の歓心を得るために、迎合する輩というのはどこにでもいるものだ。
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[2010/06/08 15:03] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)
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