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『アーロン収容所』『戦場に架ける橋』『猿の惑星』 

会田雄次『アーロン収容所』1962
会田雄次は大正5年生まれで、昭和18年夏教育召集によって京都の歩兵連隊に入隊、同年冬ビルマに送られている。部隊が全滅寸前のところを終戦に助けられ、ラングーンで英軍の捕虜となった。その後昭和22年5月まで1年9ヶ月間の捕虜生活の体験をもとに、『アーロン収容所」をまとめている。

そこに綴られているのは、英国人の有色人種に対する驚くべき優越意識であり、会田に言わせれば英国人(白人)は「恐ろしい怪物」であった。
「この怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。そして、そのことが全アジア人の全ての不幸の根源になってきたのだ。・・・われわれはそれと同じ道を歩もうとした。敗れた事は天譴であったが、英国はまた勝った(一部要約)」
これは戦争中の言葉ではない。戦後の知識人の言葉である。

一例として、女兵舎での出来事を挙げている。
捕虜が兵舎の掃除に行っても、英人女兵士は捕虜を人間扱いにしない。端的に言えば犬猫並みに扱い、日本人やビルマ・インド人の前で裸でいてもなんら恥ずかしがることもない。荷物を運べという時は、足で物を蹴り、あごをしゃくるだけ。サンキューの一言も無い。
「かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。」

この振る舞いは沼正三の『家畜人ヤプー』(1970)を連想させる。「彼女たちからすれば、植民地人や有色人種はあきらかに『人間』ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。」と会田は断じている。

これと主客が異なった映画が、『戦場に架ける橋』(1957)である。
1943年タイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らを泰緬鉄道の建設に従事させるが、日本人の英人捕虜に対する苛烈な扱いが主題になっている。これは原作者のフランス人ピエール・ブールが実際に体験した話と言われている。

ピール・ブールはWikipediaによると1936年から1939年までマレー半島でイギリスのゴム園の監督者として働いていた。第二次大戦が始まると仏印でフランス軍に加わっているが、フランスがナチス・ドイツに占領されると自由フランス軍に加わり、後にヴィシー政権に捕らわれ投獄されたとある。してみるとこのとき日本軍の捕虜収容所生活を送ったものと思われる。

三浦朱門は「多くの人は気がついていないようだが、映画『戦場にかける橋』と『猿の惑星』(1968)の原作者は同じ、ピエール・ブールというフランス人である。・・(略)・・彼の作品は彼の戦時中の体験がその中心となっていると見るべきであろう。そこで次のような等式がなりたつ。
『戦場にかける橋』の日本軍対米英軍捕虜イクオール『猿の惑星』の進化した猿対退化した人間。すなわち、日本軍は猿に相当するし、米英軍捕虜は猿に破れて捕らえられた人間、ということになる」(『三浦朱門のコミック談義」1998)

「つまり第二次大戦は白人にとって、殊に、世界に植民地を持っていた白人にとっては、大きなショックであった。英、蘭、仏などは戦勝国とは言いながら、勝利の果実などは何もなかった。戦争によって失ったものはいくらでもあったが、得た物は無きに等しかったのである。」(同)

今更人種差別を持ち出して云々することはタブーともいえるが、戦前の国際情勢、特にアジア・日本のおかれていた状況について、この視点からの評価に目を瞑る必要はないのではないかと思う。自らを「一等国民」といって喜んでいたのは明らかに当時世界を覆っていた人種差別意識の裏返し(劣等感)であったように思われる。
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[2010/10/03 20:11] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)
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