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梅棹忠夫著『知的生産の技術』 

『知的生産の技術』が発表されたのは1969年、大学紛争の最盛期で、70年大阪万博・安保改訂の前年だ。私はこの年大学に入った。

この本は「知的生産」という言葉が新鮮だったことから、知識人や学生・研究者の間で人気を博し、長い間ベストセラーになっていた。ふとしたきっかけで再読してみたが、この間の「知的環境」の余りの違いに「三嘆久しうす」という心境になった。

この本が書かれた当時は勿論パソコンなどない。電子辞書どころか、ワープロも電卓もない。辺見の計算尺が3000円、大学卒の初任給が5万円という時代だ。

梅棹が発見したのは「情報をカードに」という情報の整理法。その後「京大式カード」として一世を風靡するが、やっていたことは、一つの「発見」について一つのカードを作り、キーワードやコメントなどをコツコツと手書きすることだ。

そういうカード(B6判)を何千枚も作り、あとでカテゴリーやキーワードなどで分類整理するという、現代のわれわれにはパソコンなしでは考えにくい作業だが、つい昨日まで多くの研究者が労を惜しまず、当たり前のようにやっていたことだ。

カードの付け方については筆者がこう書いている。

「カードはわすれるためにつけるものである。このことは、カードのかきかたに重大な関係をもっている。カードにかいてしまったら、安心してわすれていいのである。」

「カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと、完全な文章でかくのである。」

「かならず『みだし』をつける。カードの上欄にそれをかいておけば、検索に便利である。」

「カード操作のなかでいちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだにおもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。」

これ以上の深入りはやめるが、現在の学生なら、仮にある論点に関する書籍や関連論文を探索するのにアマゾンやグーグルなどを使えば、データだけなら100や200件を作成するのに1週間もかからないだろう。

しかし、これをただプリントしてファイルしたのでは梅棹を超えることはできない。自画自賛ではあるが、Eharanoteは「現代の京大式カード」だ。上に述べたことは当然できる。それ以上のこともできる。何よりデータの全文検索は強力な機能だ。場合によっては瞬時といってもいい時間で。カードという大きさに制約されない。場所もとらない。当たり前だがすべてパソコンの中だ。プリントも必要ない。

ブラウザでみたままを、そのままデータベースとして保存できるツールでは、Evernote以外広く商品化されたものはない。Eharanoteはその後塵を拝してはいるが、思い入れもあって私はたいそう気に入っている。ただ、Win版では制約があってMac版ほどの良さ(機能)が発揮できていないのは残念だ。(最近わかった)

ともあれ、データを貯蔵するツールは作った。問題はこれを活用する方法論だ。
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[2010/05/22 22:54] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)
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